2020年3月12日木曜日

「ありがとう」と発することについて

私は「ありがとう」という言葉を大事にしている。

ありがとうという気持ちも大事だが、それよりも「ありがとう」と発することを大事にしている。

気持ち、は自分でもなかなか確固として実感することはできない。

だけど「ありがとう」と発することで、自分自身が感謝しているという気持ちをただ思っているより少しは実感することができる。 

また、「ありがとう」と発することはその言葉を伝えられる相手にもその気持ちが伝わる。

「ありがとう」と言われて気分の悪い人はいるだろうか?

この「ありがとう」という言葉の対象はヒトでもモノでもである。 

人は一人では生きていない。

また、仕事も一人では行っていない。 

同僚やお客様、サプライヤー、ステークホルダー、地域社会などがあって初めて成り立つ。 

また、人だけではなく、働く場所(建物)、執務室、机椅子、パソコンなど施設や設備、インフラがあって始めて働くことができる。 

さらには、その前提に家族や友人などの協力があって自分の生活が成り立っている。 

日常のルーティーンの毎日や多忙な日常の中では、つい忘れがちになる。 
でも、「ありがとう」と言えることで、心に余裕を持てることができ、また、当たり前が当たり前でないことに気づかせてくれる。

3月は送別の時期である。これまでお世話になった同僚や友人と別れねばならない。このような送別の時期だからこそ、これまで当たり前に過ごさせていただいていた日々がどれだけ「ありがたかったか」ということに気づかせてくれる。

3月11日は我々の記憶から消しさることができない日である。この日は、「当たり前」が「当たり前で無い」ということに気づかせてくれる日でもある。 

世の中はコロナの影響で不安が漂っている。だが、この状況も「当たり前」が「当たり前で無い」ということに気づかせてくれる日々でもある。

だからこそ、皆さん、このような時期だからこそ、これまで以上に自分の周りの人々に「ありがとう」と発することを増やしませんか? 

「ありがとう」が増えれば、自分もゆとりを持つことができ、発せられた相手も余裕を持つことができるのではないだろうか? 

地球が生まれて46憶年ともいわれる時空の中で、たまたまこの数十年という期間(人生)を共に過ごす皆さんは全員、私にとって「有り難し」である。

送別の時期だからこそ、3月11日を経た今日こそ、コロナで不安な今こそ、

 ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、